姶良市の趣味・カルチャー ランキング
姶良市の趣味・カルチャー スポット 17選
-
与謝野鉄幹・晶子歌碑
鹿児島県 霧島
- 観光名所
鉄幹の父は僧侶で明治14年加治木の説教所(性応寺)へ転居。9歳の鉄幹も父に従い1年余りを過ごした。その頃、鉄幹が黒川の山から、たぶの木をとって植えたのが現在では巨木となっている。昭和57年、その近くに夫妻の歌碑が彫刻家法元六郎氏により製作され建設された。鉄幹はのちにこの木と再会した喜びをうたったもので鉄幹「老の身の相見て嬉しをさなくて加治木の寺に植ゑしたぶの木」晶子は加治木の五老峰をうたった晶子「加治木なる五つの峰の波形の女めくこそあはれなりけり」の二首。
-
蒲生武家屋敷群
鹿児島県 霧島
- 町並み
古代は薩摩・大隅の交通の要所として、藩政時代は農・林・工業の中心地として栄えました。御仮屋門を中心に9つの馬場(通り)と2つの小路で構成されており、道筋には今なお数多くの武家門を見ることができます。
-
鹿児島県県民の森
鹿児島県 霧島
- 観光名所
運動広場、キャンプ場、アスレチックなどが設置された自然を満喫できる憩いと学びの場。森の奥にある3段に別れて落ちる珍しい滝『三重の滝』は吊り橋からの眺めがおすすめ。
-
キャロット製品
鹿児島県 霧島
- 特産物・特産品
ジュース、ジャム、ドレッシング、焼肉のたれ、ゼリー、ピクルス等。
-
加治木まんじゅう
鹿児島県 霧島
- 特産物・特産品
足利時代に桂庵禅師が中国から伝えたものといわれ,また,島津義弘公が加治木移城に際し欄干橋を作ったとき工事のお茶うけに出されたものが起こりともいわれる伝統的な郷土特産品の一つ。もち米と甘酒を使用したふっくらとした生地に美味しくて柔らかいあんこが人気をよんでいる。
-
きびなご鮨
鹿児島県 霧島
- 郷土料理
バッテラ風のキビナゴ鮨を謹製したもの。全国で唯一販売。
-
吉左右踊り
鹿児島県 霧島
- 郷土芸能
西別府の太鼓踊りは、いわゆる太鼓踊りと吉左右踊りに分けられる。一つ一つでも成り立つわけであるが、太鼓踊りは西別府から他の集落へ伝わり今日残っているが、吉左右踊りは西別府のみに伝わっており、一種の棒踊りで太鼓踊りと密接なつながりがあって、太鼓踊りの一役をかって先駆をなしている。大字西別府の太鼓踊りと一緒に行われる。この踊りは、薩軍が朝鮮の山野で道に迷い困惑しているとき、白・赤の狐が現われ、道案内をしたと言われ、この道案内となった2匹の狐にかたどったのが、この「ドラ打ち」だと伝えられている。
-
海音寺潮五郎文学碑
鹿児島県 霧島
- 観光名所
NHKドラマ「天と地と」の著者で文学碑には「私の人間美学はここで形成された。当時の校風が男はいかにあるべきか私に教えた・・・(後略)」
-
白金酒造石蔵(国登録有形文化財)
鹿児島県 霧島
- 歴史的建造物
白金酒造の創業は明治2年で、この石蔵もその頃の建設と推測されます。現在1階は焼酎のカメ仕込み、2階は展示や研修に使用しています。屋根は昭和 26年のルース台風で破壊されましたが、脇元浦町の景観を残している貴重な建物です。平成29年10月には、歴史的な石蔵と焼酎の製造過程を見学できる、石蔵ミュージアムも完成し、注目を集めています。
-
南浦文之の墓
鹿児島県 霧島
- 観光名所
文之和尚は禅僧で名は玄昌、日向国南郷外浦に住んでいたので南浦と号した。島津義久・義弘・家久に仕えて島津家の政治・外交に活躍。朱子学に秀で、漢籍の訓点を施し後世まで「文之点」として日本儒学を発展させた。また、鉄砲伝来の様子を資料や伝承によりまとめた「鉄炮記」も記している。
-
加治木
鹿児島県 霧島
- 町並み
麓集起源の町で、江戸初期に島津義弘が山城を平地に移し、屋形、武家屋敷、町、船着き場などを造った。城と武家屋敷は旧砂丘の高台にあって、石垣や生垣に囲まれた門構えの屋敷が続いていたが、現在では往時の面影を残す所は少なくなってきている。仮屋馬場通り500m。
-
太鼓踊り
鹿児島県 霧島
- 郷土芸能
太鼓踊りの由来は、江戸で大流行していた疫病を、駿河の念仏踊りがねり歩いたところ下火になったという話を島津義弘公が聞き、文禄・慶長の役の凱旋記念に家臣に習得させ薩摩に持ち帰ったためと伝えられています。 市内では8地区保存会(反土・木田・小山田・西別府・春花・下久徳・川東・北)で太鼓踊りが伝承され神社へ奉納されたり、加治木町で毎年8月16日、蒲生町で8月21日に大会が開催されて披露されています。 太鼓踊りは雨乞いの時も踊り、また、疫病や災厄をもたらす悪霊や御霊を慰めて、勇壮・豪快な踊りや華やかな行列で送り出そうとするもので、農村生活の密着した野趣にあふれた群舞です。
-
西郷どんの腰掛石
鹿児島県 霧島
- 観光名所
民家の軒先にひっそりと佇む、西郷どんの腰掛石。幕末の英雄・西郷隆盛が座ったと伝えられている大きな石が、薩摩の歴史を感じさせます。
-
総禅寺墓地
鹿児島県 霧島
- 観光名所
豊州家島津氏の菩提寺であった総禅寺墓地に、島津季久・朝久・御屋地様の墓〔市指定史跡〕があります。 島津季久は豊州家島津氏初代で室町時代に国人領主として活躍し、瓜生野城(建昌城)を居城としました。文明9年(1477)に城中で死去しました。 島津朝久は豊州家6代であり、義弘の娘婿に当たります。義弘とともに活躍しましたが、文禄2年(1593)、文禄の役の陣中で病死しました。 御屋地様とは義弘の長女千鶴のことです。島津朝久に嫁ぎましたが、朝久の病没後は義弘とともに帖佐の居館に住み、領民に慕われ、「御屋地様」と呼ばれました。寛永13年(1636)に平松城で死去し、総禅寺に葬られています。
-
重富小学校正門(旧鹿児島県庁正門)(国登録文化財)
鹿児島県 霧島
- 歴史的建造物
この正門は、西南戦争後に建設された元鹿児島県庁(現在の鹿児島市中央公園)の正門を大正15年に移築したものです。当時の出納長が重富村出身で あったことから、重富小学校に払い下げられたと考えられます。
-
新照寺本堂・正門・石堀・通用門(国登録有形文化財)
鹿児島県 霧島
- 歴史的建造物
新照寺は、煙草講(かくれ念仏の団体)の信徒たちの思いによって、石材による本堂建立が始まりました。明治26年(1893)に本堂、2年後に水流 金太郎氏の寄付により正門・石塀が完成しました。石材は寺師の黒葛野から切り出したといわれています
-
山田の凱旋門(国登録有形文化財)
鹿児島県 霧島
- 歴史的建造物
この凱旋門は明治37・38年の日露戦争に、当時の山田村から従軍した人たちの無事な帰還を記念して建造されました。明治39年(1906)3月に 『山田村郷土誌』には、山田村からの従軍者は、陸軍88名・海軍25名、計113名であったと記してあります。 石造りの凱旋門は、鹿児島が誇るアーチ式の石橋技術を応用したもので、全国的でも1基しかない貴重な文化財です。使われた石材は凝灰岩で、言い伝え によると、上名の池平から切り出したといいます。石工は細山田ケサグマという人だったそうです。
姶良市の趣味・カルチャー探し
姶良市で体験できる趣味・カルチャーの店舗一覧です。
アソビュー!は、姶良市にて趣味・カルチャーが体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの姶良市で趣味・カルチャーを体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。