時間にして15,000年、距離は南北4,000キロ、標高差は4,500メートルに及ぶアンデス文明。この巨大で複雑な文明の全体像は、ほとんど知られていません。この地域の文化の魅力と個性を紹介してきた「TBSアンデス・プロジェクト」の集大成ともいえる展覧会が、10月21日(土)より国立科学博物館にて開催されます。
アンデス・プロジェクトの集大成
アンデス文明は、南米大陸太平洋岸の南北4000キロ、標高差4500メートルに及ぶ広大な地域に展開し、16世紀のインカ帝国滅亡によって終わりを告げた巨大文明です。この地域では15000年のあいだ、ナスカやモチェ、ティワナクなど多種多様な文化が盛衰を繰りかえしてきました。
これらの文化の魅力と個性を紹介してきたのが、「TBSアンデス・プロジェクト」。1994年に開催された「黄金の都シカン発掘展」を皮切りに、2012年の「インカ帝国展―マチュピチュ『発見』100年」まで、開催された展覧会は5回、動員数は実に400万人以上という一大プロジェクトです。
その集大成ともいえるのが、今回の「古代アンデス文明展」です。いくつもの文化が連なり、影響を与えあうなかで育まれた神話や儀礼、神殿やピラミッドを作りあげた技術、厳しくも多彩な自然環境に適応した生活様式などが、およそ200点の貴重な資料によって明らかにされます。
7つの展示構成
今回の展覧会は、アンデス文明の全容を時系列的に俯瞰するように構成されています。順にご紹介しましょう。
序章 アンデスへの人類到達(紀元前13000年~前3000年頃)
アンデス特有の環境に、いつ、どのようにして人類は到達したのか? アンデスに人が定住するまでの長く複雑な過程をたどりつつ、アンデス地域のさまざまな環境を紹介するコーナーです。
第1章 アンデスの神殿と宗教の始まり
カラル文化(紀元前3000年頃~前2000年頃)
ペルーの首都リマの北200キロほどの、砂漠地帯にあるカラル遺跡。定住生活が始まった痕跡が発見されたカラル遺跡は、本当にアンデス文明の起源なのでしょうか?
アンデスでいつ、どのような神殿が建造されたのか、どのような宗教だったのかを紹介します。
第2章 複雑な社会の始まり
チャビン文化(紀元前1300年~前500年頃)
石造りの壮大な建造物で知られる古代アンデス文明の片鱗が垣間見えるチャビン文化。この頃、地域ごとに独特の宗教観が芽生え、社会の統一が始まりました。このコーナーでは、広範囲に影響を及ぼしたチャビン文化の宗教観や社会構造を紹介します。
第3章 さまざまな地方文化の始まり
ナスカ文化(紀元前200年頃~紀元650年頃)
モチェ文化(紀元200年頃~750/800年頃)
同時代に異なる地域で花開いたふたつの文化を紹介します。
文字が発明されなかったアンデス文明では、土器の意匠が意思疎通のツールとなったと言われています。モチェ文化では、人々は土器を通して「神々、「死者」、「自然」、「人間」の4つの世界観を共有していました。また地上絵で知られるナスカ文化では、社会構造が変化するほどの急激な環境変化が起こったことがわかっています。
第4章 地域を超えた政治システムの始まり
ティワナク文化(紀元500年頃~1100年頃)
ワリ文化(紀元650年頃~1000年頃)
シカン文化(紀元800年頃~1375年頃)
高度な石造建築技術を持つティワナク文化、インカ道を築きはじめたワリ文化、高い金属加工技術を持ち黄金の装飾品を生みだしたシカン文化という、インカ帝国の礎となった重要な文化を紹介します。
第5章 最後の帝国-チム-王国とインカ帝国
チムー王国(紀元1100年頃~1470年頃)
インカ帝国(紀元15世紀早期~1572年頃)
アンデス文明の最後を飾った二大勢力、チムー王国とインカ帝国の覇権争いと、アンデス地域に南北4000キロに及ぶ大帝国を築きながら、わずか168名のスペイン人に滅ぼされたインカ帝国の実像を紹介します。
第6章 身体から見たアンデス文明
古代アンデス文明には、旧大陸には見られないミイラの文化が育ちました。インカの王は死後ミイラとなり、家臣にかしずかれながら生活したのです。にわかには理解できない風習ですが、その起源や発展の様子を眺めると、人間の本質が見えてきます。
ここでは、身体にほどこされた様々な加工を概観し、アンデスの死生観を考えます。
アンデス文明をめぐる10の謎
砂漠が広がる海岸地帯から人が住める限界の高地までという多様な環境下で、アンデスの人々は独自の文化を築いていきました。この展覧会では、アンデスに人類が到達した先史時代からスペイン人によるインカ帝国制服までの15000年間に生まれた9の文化の盛衰を一望し、アンデス文明に共通する普遍的な性格、そして各文化に固有の特徴を考察、その本質を描きだします。
謎1 中南米原産の野菜が世界の料理を変えた?
16世紀以前、朝鮮料理は辛くなく、イタリア料理にトマトは使われていませんでした。ジャガイモは荒れた土地、寒冷な土地でも容易に育つため、ドイツをはじめ北ヨーロッパでは準主食のような扱いになりました。
謎2 アンデス文明はなぜ「石の文明」と言われるのか?
アンデス文明は、山と海の文化に大別されます。海岸地帯では日干しレンガが使われますが、山の文化では石造りの巨大建造物が目立ちます。
チャピン、ティワナク、ワリなど、インカ以前の山の文化から「石の文明」の本質を探ります。
謎3 地上絵は何のために描かれたのか?
地上絵が描かれた目的は、解けない謎とされてきました。しかし近年、「地上絵=水の儀礼の祭祀場」が、有力な仮説となっています。降水量が極端に少ないペルー南海岸。水を得ることは人々にとって死活問題でした。
謎4 車輪の謎 土器の謎
アンデス文明には、運搬用の車輪も陶芸の「ろくろ」のような仕組みも存在しませんでした。ろくろのないアンデスでは手びねり型を使って土器を制作したため、独創的な象形壺が生まれました。リアルな人物の顔を象った壺は、ポートレイトの一種として使用された例かもしれません。
謎5 インカ帝国を準備したワリ文化?
日本ではあまり知られてこなかったワリ文化。アンデネスと呼ばれる巨大段々畑、カパックニャンと呼ばれる道路網などを使い、インカ帝国のモデルになっただろうワリ文化の特徴を、詳しく紹介します。
謎6 黄金文化を生みだしたアンデス文明
永遠の生命の象徴として重んじられた黄金。アンデスの黄金加工技術には、目を見張るものがあります。スペイン人はそんなアンデスの黄金の美術品を略奪し、鋳つぶして本国に持ち帰ったのでした。
謎7 貨幣も市場もない文明?
スペインの植民地になるまで、アンデスには貨幣や市場がありませんでした。そんな市場がない社会で、人々は必要なものを得るために工夫を凝らし、大規模な自給自足経済を営んでいました。
謎8 文字のない文化のなか、人々はどのように情報を記録したのか?
インカの記録技術でもっとも洗練されているのは、紐に結び目をつくるキープという方法でした。インカ王室の書記官は、キープの記録と読み取りを覚えるためにクスコの学校で3年間の訓練を受けたのだとか。
キープは現在でも完全に解読されておらず、謎を残したままです。
謎9 アンデスの人々は「世界」をどのようにとらえていたのか?
多彩な芸術作品を遺したモチェ文化の土器を見ると、人々は「人間」、「自然」、「死者」、「神々」という4つの世界を認識していたと考えられます。モチェの人々は死者と密接な交流を持っていたようで、死生観が垣間見える多数の土器を遺しています。
謎10 ミイラはなぜ作られたのか?
アンデスの海岸地帯では、エジプトより早い時期からミイラの加工がおこなわれていました。ミイラとなった人々は、ある文化ではコミュニティの一員として扱われ、別の文化では先祖崇拝の対象となりました。加工の方法にもバリエーションがあり、ミイラづくりの伝統にさまざまな要素が加わって発展したことがわかっています。
TBSアンデス・プロジェクト最終章
1994年開催の「黄金の都シカン発掘展」から23年。集大成となる今回の展示会では、アンデス文明を代表する9の文化を一望することができます。未だ解明されていない謎も多い巨大な文明をめぐる、遙かなる時空の旅に出発しましょう!
展覧会概要
展覧会名:古代アンデス文明展
会期:2017年10月21日(土)~2018年2月18日(日)
会場;国立科学博物館
所在地:東京都台東区上野公園7-20
観覧料:一般・大学生 1,600円(1,400円)、小・中・高校生 600円(500円)、金曜土曜限定ペア得ナイト券(17時~20時) 2,000円
※お得な早割ペア得チケット2,500円 7月31日(月)まで発売中
公式サイト:http://andes2017-2019.main.jp/andes_web/
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