港の見える丘公園の基本情報
公園散策と合わせて楽しめる西洋館巡りを紹介
港の見える丘公園の近くにある山手地区には、1920年代から1930年代に西洋の外交官が使用していた邸宅や、当時の歴史を感じられる建物が今も残っています。今回はその中でも、重要文化財や歴史的建造物に指定されている5つの建物を紹介。これらは「横浜山手西洋館」と呼ばれ、建物を見て回る西洋館巡りは観光客にも人気です。横浜開港時代の面影を感じながら、散策を楽しみましょう。
今回紹介するルートは、西洋館巡りをしてから公園に向かうことを想定しています。
港の見える丘公園からは一番遠い「外交官の家」をスタート地点にして、徐々に公園に近づいていきます。最寄り駅で考えると、「石川町駅」から「元町中華街駅」に向かうルートになります。公園から西洋館巡りをする場合は、順路を逆にしてください。
イタリア式庭園の美しさは格別!「外交官の家」
ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使を務めた明治政府の外交官・内田定槌(さだつち)氏の邸宅。国の重要文化財に指定されています。
元々は1910年に渋谷区の南平台町に建てられたものですが、横浜市が氏の孫から寄贈を受け、横浜山手地区に移築復元されました。室内は一般公開されており、当時の外交官の暮らしを感じられるようになっています。外交官の家の裏手に行くと、水と花壇がしかれた「イタリア山庭園」があります。このエリアは1880年から1886年までイタリア領事館があったので、庭園形式がイタリア式となっています。
テラスからの眺望も抜群で、横浜ベイブリッジやみなとみらい21を一望できます。
当時の横浜家具を展示する「ブラフ18番館」
外交官の家の目と鼻の先にあるのが、オーストラリアの貿易商バウデン氏の邸宅。関東大震災後、山手町45番地に建てられました。戦後はカトリック山手教会の司祭館として使用されていましたが、横浜市への寄贈後にイタリア山庭園内に移築復元されました。
一般公開されている館内では、震災復興期の外国人邸宅の暮らしを忠実に再現。当時元町で製作されていた横浜家具を修復・展示しており、家具好きにはたまらない邸宅となっています。
山手地区で最大規模の邸宅「ベーリック・ホール」
ブラフ18番館から山手本通りを10分程歩くと現れるのがベーリック・ホール。イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅です。1930年に建築されてから、第二次世界大戦前まで邸宅として使用されました。現存する戦前の山手外国人邸宅の中では最大規模の建物です。
スパニッシュスタイルを基調とした建築様式が特徴的。一般公開されている館内では、当時流行していた建築スタイルや珍しい装飾の数々を見学できます。
近代建築の父が手掛けた「エリスマン邸」
ベーリック・ホールのすぐ隣にあるのが、エリスマン邸。生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人格であったフリッツ・エリスマン氏の邸宅です。
設計は「近代建築の父」といわれたチェコ人建築家アントニン・レーモンドが担当しました。
1925年から1年かけて山手町127番地に建てられました。その後、1982年にマンション建築のため解体。1990年に元町公園内の現在地に再現されました。
白亜の外観と軒の水平線が美しい印象的な作りとなっています。館内では設計者レーモンドがデザインした家具が復元展示されています。機能美を追求した内装や装飾にも注目してみましょう。
並木通りの風景が印象的な「山手234番館」
エリスマン邸のすぐ近く、山手本通り沿いにあるのが山手234番館。背の高い並木から優しい木漏れ日が差し込む雰囲気抜群の邸宅です。
1927年頃に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として現在の敷地に建てられ、1975年頃まで使用されていました。間取りは3LDK。一般公開されている館内には、当時を再現した居間や邸宅の歴史を学べる展示スペースがあります。
7つの西洋館のうち5つを紹介しました。残り2つ(横浜市イギリス館と山手111番館)は、港の見える丘公園内にあります。西洋館巡りと合わせて、公園散策を楽しんでみてください。
(※掲載されている情報は公開日のもので、最新の情報とは限りません。最新情報は必ず公式HPでご確認ください)