学問の神様として有名な菅原道真を祀る「湯島天満宮(湯島天神)」。受験シーズンには多くの参拝客が合格祈願に訪れる神社として、昔から親しまれています。学業だけでなく、資格試験や転職活動、縁結び、病回復など、さまざまなご利益を得られることでも有名。今回はそんな湯島天満宮へ実際に足を運び、神社の歴史や見どころ、人気のお守りなどを徹底的にリサーチしてきました。
湯島天満宮とは?
東京都文京区湯島三丁目にある「湯島天満宮」。もともとは日本神話における力の神・技芸の神として知られる「天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)」を祀る神社として、古墳時代中期の458年に創建されました。
南北朝時代の1355年には、「菅原道真(すがわらのみちざね)」をもう一体の御祭神として合祀。湯島神社・湯島天神などと呼ばれていましたが、2000(平成14)年に正式名称を「湯島天満宮」と定めました。現在も湯島天神は通称として使われています。「天神様」という呼び方は、なんとなく親しみが感じられますよね。
湯島天満宮は、江戸時代から梅の名所としても多くの庶民に親しまれてきました。境内の梅園には約300本の梅が咲き誇り、毎年「梅まつり」が開催されます。
江戸時代の湯島天満宮では、毎月10日と25日に縁日が開かれ、谷中感応寺、目黒不動尊と共に「江戸の三富」として、富くじ(宝くじ)が発売されるなど、江戸でも有数の盛り場として賑わっていました。湯島天満宮の境内には、当時の賑わいを感じられる史跡なども残っています。
学問の神様、菅原道真ってどんな人?
日本全国には、菅原道真を祀っている天満宮が約12,000社あります。そこまで信仰を集めている菅原道真は、いったいどのような人物なのか気になりますよね。
菅原道真は平安時代の貴族で、政治家・文人・学者としても名を成した人です。幼少期から頭が良く、5歳で和歌を詠み、当時最年少の18歳で中央官吏の養成学校ともいえる「文章生(もんじょうしょう)」の試験に合格しました。その後も勉学に励み、「方略式」という難関試験に26歳で合格。33歳で学問の最高位である文章博士となりました。
学者として学問を究めながら政治家としても活躍。醍醐天皇(だいごてんのう)を補佐する右大臣にまで出世しましたが、自分の地位を脅かされることを恐れた左大臣の藤原時平(ふじわらのときひら)の策略に陥り、福岡県の太宰府へと左遷。2年後、大宰府で57歳の人生を終えました。
ところが、菅原道真の死後、都に疫病がはやり藤原時平は病死。さらに、醍醐天皇の子どもや孫までが立て続けに病死し、天変地異が多発。人々は菅原道真の呪いと恐れ、怒りを鎮めようと北野天満宮を建立しました。その後、怨霊としての恐ろしさは弱まっていき、そのかわりに生前の学問の才能にあやかろうと、「学問の神様」として全国に広まっていったのです。
湯島天満宮の参拝方法とマナー
湯島天満宮は神社なので、神社の参拝方法に倣って参拝しましょう。ここでは簡単に、参拝の流れと手順を紹介します。
湯島天満宮に着いたら、境内に入る前に鳥居の前で一礼してください。鳥居から先は神様の領域になるので、フードや帽子は脱いでから入ります。参道の真ん中は神様の通る場所なので、なるべく端を進みます。
手水舎に着いたら身を清めましょう。柄杓(ひしゃく)を右手に持って左手を清め、次に右手を清めます。再度右手に柄杓を持ち、左手に水を注ぎ口をすすぎます。この時、柄杓に直接口をつけないように注意しましょう。口をすすぎ終えたら、左手を清めます。最後に柄杓を立てて、水が柄杓の柄を伝わるようにして清めたら終わりです。
本殿の前に来たら会釈をし、その後に賽銭を入れます。参拝の作法は、二礼二拍手一礼です。
湯島天満宮の見どころ&パワースポットを回ってみた
歴史ある湯島天満宮の境内には、ご利益を得られる社殿のほか、パワースポットや歴史を感じさせる名所が多数あり、観光名所としての見どころも豊富です。ここからは、実際に境内を回りながら、おすすめのスポットを紹介します。
・有形文化財に指定された「表鳥居」
東京都指定有形文化財に指定されている表鳥居。1667年(寛文7)年の刻銘がある銅製の鳥居で、都内に現存する鋳造の鳥居としては最古のものです。鳥居脚の台座は梅の形、その上には唐獅子(からじし)の装飾があるので、見逃さずに確認してみましょう。
・牛と梅が刻まれた装飾が見どころ「唐門」
表鳥居と並ぶ湯島天満宮の入口が唐門です。荘厳な門構えが美しい唐門ですが、一番の見どころは細部の装飾。扉部分をよく見ると、梅の花の神紋と親子の牛の彫刻があります。梅は菅原道真と深い縁のある花。そのほかにも境内には数多くの神紋があるので、参拝がてら探してみてください。
・多くの参拝客が訪れる「社殿」
1995(平成7)年に新しく建てられた社殿は、樹齢250年の木曽ひのきを使用した純木造造り。本殿と拝殿が幣殿で結ばれた「権現造り」という建築様式です。
学問の神様のご利益にあやかろうと連日多くの参拝客が訪れ、境内はいつも賑わっています。社殿近くにはさまざまな場所に梅の神紋があり、社殿を守る狛犬の台座にも梅の花が描かれているので、忘れずに見てくださいね。
・頭を撫でると知恵を授かれる「撫で牛」
全国の天満宮には「撫で牛」という牛の石像が置いてあります。菅原道真は丑年生まれで、牛にまつわる伝説が多く残っていることから、牛は“天神さまの使い”といわれています。自分の体の悪いところと同じ部分を撫でると、そこにご利益を得られるとのこと。
湯島天満宮の撫で牛は、手水舎の左右に1頭ずつ計2体設置されています。頭がピカピカと光っている理由は、撫で牛の頭を撫でると知恵を授かるといわれているから。受験生が多く参拝するので、合格祈願に頭を撫でていく人がたくさんいるそうですよ。
・勝負運や金運にご利益あり!「戸隠神社」「笹塚稲荷神社」
社殿を参拝したのちに唐門から上ってくると、右手に「戸隠神社」と「笹塚稲荷神社」が祀られています。
戸隠神社のご祭神は、天上で最も手の力が強いと伝えられた「天之手力雄命(あめのたじからおのみこと)」。力持ちの象徴で、遠くに蹴り上げた岩戸が戸隠山になったという伝説がある神様です。勝負ごとに勝ちたい人や、宝くじの当選祈願をしたい人はこちらも参拝しましょう。
笹塚稲荷神社のご祭神は「宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)」。いわゆるお稲荷様のことで、参拝すると商売繁盛のご利益を授かれます。
・縁結びのパワースポット「奇縁氷人石」
1850(嘉永3)年に境内に立てられたもので、右側面に「たづぬるかた」、左面に「をしふるかた」の文字が刻まれています。
「たづぬるかた」にはいなくなった人の特徴を、「をしふるかた」には、探している人に向けて情報を貼る、通称「人探しの石」。昔は多くの人が行き交う場所だったからこそ、奇縁氷人石が伝言板のように活用されていたのです。
長きに渡って人探しの役割を担っていたことから、いつしか湯島天満宮にも縁結びの効果があるといわれるようになりました。今は直接触れられませんが、素敵な出会いを求めている人は、奇縁氷人石の近くでお願いしてみてはいかがでしょうか?
・明治時代の街並みを彷彿とさせる「ガス灯」
湯島天満宮の男坂を進んだ先にある鳥居の下には、ガス灯が1基だけ立っています。現在のガス灯は1981(昭和56)年に復刻されたもの。明治時代の境内にあったガス灯1基は、東京ガスのガスミュージアムに展示されています。
明治時代の都内には、文明化の象徴ともいえるガス灯が全部で85基あり、なんとそのうちの5基が湯島天満宮にあったのです。明治時代はとても賑やかな場所だったことが想像できますね。
ちなみに現在都内で屋外にあるガス灯はこの1基のみ。ノスタルジックな雰囲気に浸れる貴重なガス灯を、ぜひ見つけてみてくださいね。
・湯島天満宮に通じる3つの坂「男坂」「女坂」「夫婦坂」
高台にある湯島天満宮には、境内へと続く3つの坂があります。細く急な「男坂」は38段の石段で、江戸時代の書物「御府内備考」で、“湯島天満宮参拝のための坂”と紹介された階段です。その横には少し緩い傾斜の女坂があり、こちらは33段の石段で作られています。
そして3つ目の坂は、湯島天満宮の裏手にある「夫婦坂」。途中には登竜門があり、上下が石段で繋がっています。縁結びのご利益もある湯島天満宮。参拝の後に気になる人と一緒に夫婦坂を下りたら、恋が実りそうな気がしてきませんか?
・2月下旬から見頃を迎える名物「梅園」
湯島天満宮といえば、美しく広大な梅園が一番の見どころ!江戸時代から梅の名所として多くの庶民に親しまれてきました。見頃を迎えた境内では、白梅の白加賀を中心に約20品種・300本もの梅が咲き誇り、毎年2月中旬から3月にかけて「湯島天神梅まつり」が開催されます。
梅をこよなく愛していた菅原道真。5歳にして「梅の花 紅の色にも似たるかな 阿子がほほにつけたくぞなる」という和歌を詠んでいます。
「梅の花の色は、女性がお化粧で使う紅の色に似ている。自分の頬にもつけたくなった」という、とても子どもらしい和歌。幼少期の道真になった気分で、ぜひ一句読まれてはいかがでしょう。
このほかにも、幻想文学の先駆者として有名な小説家泉鏡花の「筆塚」、王貞治氏による「努力碑」、文化を育てるのに大きく貢献してきた文具を称える「文具至宝碑」など、その時代の様子が垣間見られる興味深い石碑などがたくさんあります。
参拝後は境内の見どころをゆっくりと回って、湯島天満宮の魅力を深く味わってみてください。