「松下村塾」は山口・萩にあります。幕末、長州藩に生まれ育った吉田松陰が開いた私塾で、ここから明治維新の原動力となった志士たちが数多く生まれました。まさに「明治維新がはじまった場所」と言っても大げさではありません。asoview!NEWS編集部が松下村塾を訪れてきたので、魅力を詳細にレポートします!
吉田松陰は幕末の過激派!?
吉田松陰は文政13年(1830年)に長州・萩に生まれました。幼少の頃より「神童」と呼ばれるほどさまざまな勉学に通じた才気あふれる人物でした。22歳の時に東北遊学を企画し、その際に脱藩。その後江戸から外国船に乗り込んで密航をしようとし、国許に送り返されて幽閉されます。吉田松陰は幽閉されてなお次々と「新しい国の形」を示す意見書を藩主に提出するなど、日本の将来を憂いていました。
彼のもとには学問をしたいという人々が集まり、多くの若い志士に影響を与えました。30歳の時に老中暗殺を企てた罪により、江戸で死罪に処されます。当時としては幕府に反旗を翻す非常に過激な思想家で、時にテロリストとも言われます。短い生涯でしたが、熱く徹底的に考えて学び、行動するというその生き方はいまでも多くの人々に影響を与え、「吉田松陰先生」として慕われています。
2015年には吉田松陰の妹・杉文を主人公とした大河ドラマ「花燃ゆ」が放映され、人々にそれぞれの「志(こころざし)」を問いかける重要な役どころが注目を集めました。
ちなみにこの肖像画は、松下村塾で学んでいた松浦亀太郎によるもの。松陰が江戸で処刑される直前に描かれたもので、本人はこの肖像画を非常に気に入っていたそうです。本物そっくりなのだとか。30歳には見えませんが…
身分は関係なし!誰でも学べた松下村塾
松下村塾とは、吉田松陰が師となり学びの場を作った私塾です。当時長州藩には藩校・明倫館がありましたが、ここはいわば公立の学校で、士族の身分でないと学べないなど、さまざまな制限がありました。松下村塾ではこのような制限はなく、士族の他に医者、魚屋などが通い、「学びたい」という意志があればだれでも学べる場でした。実際に吉田松陰がこの地で指導したのはわずか1年ほどでしたが、彼の功績は歴史を動かすほど大きなものでした。
松下村塾からは高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文など、明治維新の原動力となり、また新政府を動かした人材が多数輩出されました。