東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」は、歴史的建造物を数多く保存・展示する野外博物館です。都立小金井公園の中にあり、敷地面積は約7ヘクタールにも及びます。園内には江戸時代から昭和初期までの様々な建築物が展示されていて、一歩足を踏み入れたらタイムスリップしたかのような光景が広がります。江戸東京たてもの園をasoview!NEWS編集部員が取材してきましたので、見どころをレポートします!
貴重な建物が盛り沢山!「江戸東京たてもの園」とは?
江戸東京たてもの園は、1993年に都立小金井公園の中に開園した野外博物館です。園内には、江戸時代から昭和初期までに建設された、歴史的価値の高い建築物が30棟復元されています。江戸東京たてもの園に集められた建築物の数々は、現地での保存が不可能になったものが中心。文化的価値の高い歴史的建造物が、この江戸東京たてもの園に移築され、復元・保存・展示されているのです。
デートにおすすめ!展示のみどころを余すことなく紹介!
園内には魅力的な展示が数多くあり、すべての展示をじっくり見学すると最大で約4時間はかかります。1日たっぷり遊べるので散策デートにもおすすめです。
釜爺のボイラー室にそっくり!武居三省堂(文房具屋)
明治初期に創業した文房具屋「武居三省堂」。このお店は当初、書道用品の卸を行っていました。その後は、小売店として営業されていました。建物は震災後に建てられたものです。建築様式は看板建築となっており、前面がタイル貼りになっています。屋根の形もちょっと特徴的なので、よく見てみましょう。
釜爺というキャラクターの作業場がジブリ作品「千と千尋の神隠し」の劇中で登場します。釜爺が働くボイラー室のモデルになったと言われているのが、この「武居三省堂」です。
子宝湯
江戸東京たてもの園で注目したい建物のひとつ「子宝湯」。この子宝湯は東京の銭湯を代表する建物です。寺社仏閣をも思わせる大型の唐破風が特徴的で、玄関上の七福神の彫刻や脱衣所で見られる折上格天井など、贅を極めた造りとなっています。江戸東京たてもの園を訪れたなら必ず見ておくべき建物です。
富士山が風呂場の壁面に描かれています。古き良き日本の風呂文化の象徴するこの絵は、どこか懐かしい気分にさせてくれます。
高橋是清邸
明治から昭和にかけて活躍した政治家、高橋是清の住まいだった建物の主屋部分を展示しているのが「高橋是清邸」です。希少な日本産つがを用いた建築様式である「総栂普請(そうつがぶしん)」の建築で、洋間の床には寄木張りが用いられています。また、2階には高橋是清の書斎や寝室があり、昭和11年の2・26事件の現場にもなった場所です。
「高橋是清邸」の2階にあるこちらの窓辺です。
吉野家(農家)
「吉野家(よしのけ)」は江戸時代後期に建てられました。吉野家は、江戸時代に現在の三鷹市野崎にあたる野崎村の名主役を務めていた家とされています。また、式台付きの玄関や、付書け院(つけしょいん)のある奥座敷など、格式高い様相が見受けられる民家です。
八王子千人同心組頭の家
八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん)とは、江戸時代に存在した徳川家の家臣団を指します。当時八王子に配備されていました。この組頭の家は、周囲の農家と比べると決して広いものではありません。しかし、式台付きの玄関などがあり、格式の高さをうかがい知ることができます。
綱島家(農家)
広間型の間取りが特徴的な民家「綱島家」は、多摩川を望む台地上に鎮座していた建物です。茅葺屋根の建築となっており、広間を囲む長方形断面の大黒柱や、押し板と呼ばれる古い形式の棚板が配されているなど、随所から歴史を感じ取ることができる建物です。
奄美の高倉
その名の通り、奄美大島にあった高床式倉庫「奄美の高倉(あまみのたかくら)」。こちらの建物は、湿気やネズミなどから穀物を守るために建物本体が地面から高くあげられています。高床式の建物は、奄美の高倉以外にも、八丈島などでも見られるものです。
デ・ラランデ邸
元々平屋だった洋館を現在の3階建ての住宅に増築したのが「デ・ラランデ邸」です。手がけたのはドイツ人建築家のゲオルグ・デ・ラランデ。時期は明治43年頃とされています。ゲオルグ・デ・ラランデによる増築後、何度か所有者が変わりながら、最終的には三島海雲の手に渡り、昭和31年から住んでいました。平成11年まで新宿区の信濃町にあり、その後江戸東京たてもの園に移築されたものです。
ボンネットバス
戦後、いすゞ自動車が開発した4WD「TS11型」を改良した車両です。
三井八郎右衞門邸
昭和27年に建築された「三井八郎右衞門邸(みついはちろうえもんてい)」。江戸東京たてもの園へ移築される以前は、東京都港区麻布に建っていました。また、客間と食堂部分は明治30年頃に京都に建てられたもので、こちちらも移築されています。そのほか、蔵は明治7年に建築された当初の土倉に復元されたものです。
明治時代の重厚さが感じられる空間です。ふすまの絵は森寛斎などの画家が手がけたと言われています。
常盤台写真場
「常磐台写真場(ときわだいしゃしんじょう)」は、当時健康住宅地として開発されていた常磐台に建てられた写真館です。当時はまだ照明設備が発達していませんでした。そのため、2階の写場には大きな窓が造られており、安定した照度が得られるように設計されています。
小出邸
大正時代にヨーロッパで流行していたデザインを元に、日本の伝統的な造形をミックスして造られた邸宅「小出邸(こいでてい)」。この建物の設計者は、日本のモダニズム運動を主導していた建築家の堀口捨己です。ヨーロッパ旅行直後に彼が設計したために、その影響を強く受けた造りになっています。
縁側から見られる景色です。時間を忘れてゆっくりと見られます。
前川國男邸
昭和17年、東京都品川区上大崎に建てられた邸宅「前川國男邸(まえかわくにおてい)」。前川國男は、日本の近代建築の発展に貢献した建築家です。注目したいのは、その建築時期です。建築資材の入手が困難とされていた戦時体制下の時期に竣工しているのです。建物の外観は切妻屋根の和風となっています。内部には吹き抜けの居間を中心に、書斎と寝室を挟むシンプルな間取りです。
落ち着いた佇まいの玄関先。シンプルであるがゆえに洗練された雰囲気の漂う建物となっています。
田園調布の家(大川邸)
大正14年に田園調布に建てられたのが「田園調布の家(大川邸)(でんえんちょうふのいえ)」です。室内は居間を中心に、食堂や寝室、書斎などが配されています。そして注目したいのが、その建築様式。大正初期としては珍しい、全室洋間の作りになっているんです。大正ロマンを感じさせてくれる大川邸をぜひご覧あれ。
ビジターセンター(旧光華殿)
江戸東京たてもの園の出入り口となっている「ビジターセンター(旧光華殿)は」、昭和15年に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典に際して仮設された建物です。式典後の昭和16年に現在の場所に移築され、武蔵野郷土館の展示室として利用されました。その後、たてもの園の開園にあわせてビジターセンターとして利用されるようになりました。ビジターセンターの中には展示室や導入展示、インフォメーションやミュージアムショップ&カフェなどがあり、訪れる人を温かく出迎えます。また、導入展示や図書コーナー、ミュージアムショップなどは無料で入ることができます。
旧自証院霊屋
尾張藩主の徳川光友の正室であった千代姫が、三代目将軍徳川家光の側室で実母であるお振の方を供養するために建立した霊屋が「旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)」です。真っ赤な屋根が特徴的なこの建物は、東京都の文化財指定を受けています。
西川家別邸
北多摩屈指の製糸会社を設立した実業家西川伊左衛門。その伊左衛門が隠居所かつ接客用に建てたのが「西川家別邸(にしかわけべってい)」です。建築に使われている部材はどれも吟味されたものばかりで、多摩地域の養蚕や製糸業が最盛期を迎えた大正期から昭和初期にかけての栄華が垣間見れます。
伊達家の門
大正期に旧宇和島藩主の伊達家が東京に建てた屋敷の表門、「伊達家の門(だてけのもん)」。デザインは大名屋敷の門を再現したような形になっています。総欅造りの門は、門柱の上に架けられた冠木に宇和島藩伊達家の家紋が見られます。雄大な門構えからは、在りし日の伊達家の栄華を感じることができますよ。
会水庵
山岸宗住(会水)が大正期に建てた茶室「会水庵(かいすいあん)」。その後、昭和32年には劇作家の宇野信夫によって買い取られ、西荻窪に移築されました。内部は本畳3枚と台目畳1枚で構成されている三畳台目の小間の茶室となっています。時が流れても色褪せない趣きある佇まいをぜひ御覧ください。
天明家(農家)
江戸時代に現在の大田区に位置する「鵜ノ木村」の年寄役を勤めていた旧家が「天明家(てんみょうけ)」です。建物正面には千鳥破風(ちどりはふ)をもち、主屋や長屋門、枯山水庭園など、当時の格式の高さが伺える建物になっています。
裏庭には、ボランティアの方々が育てている作物が生い茂っています。
小寺醤油店
大正期に現在の港区白金で営業していた「小寺醤油店(こでらしょうゆてん)」の建物です。店内では味噌や醤油、酒などが販売されていました。庇の下の腕木やその上の桁が特徴です。これらは出桁造り(だしげたづくり)と呼ばれており、この建物のみどころでもあります。ぜひ注意して見てみてください。
店内にはレトロなレジスターがあります。今でも動くかどうか触れられないのでわかりませんが、当時の趣が感じられます。
鍵屋(居酒屋)
鍵屋(かぎや)は、台東区下谷の言間通りで営業されていた居酒屋です。1856年に建設されたとされている鍵屋は、震災や戦争などの被害を逃れてきて現在まで姿を残しています。現在展示されている建物や店内の様子は、1970年頃の姿に復元されています。ぜひ、当時の居酒屋の活気を感じ取ってみてください。
当時の様子を忠実に再現した店内。今にも客同士の談笑が聞こえてきそうです。
花市生花店
こちらも看板建築の建物「花市生花店(はないちせいかてん)」です。建築時期は昭和初期です。建物の正面は花屋らしい可愛いデザインで昭和レトロを感じさせてくれます。また、店内には昭和30年代の花屋の様子が再現されています。
店内を覗いてみると、花々が一面に陳列されています。赤と白のバラ以外にも様々な色の花が店舗の奥においてあります。
仕立屋
「仕立屋(したてや)」は、明治初期に現在の文京区向丘に建てられた町家です。建築様式は出桁造りとなっています。内部は大正期の仕立屋の仕事場が再現されていて、人々の暮らしが感じ取れそうなほどに当時の面影を残しています。
万世橋交番
「万世橋交番(まんせいばしこうばん)」は、正確な建設時期は不明とされていますが、その建築様式から明治時代のものではないかと言われています。正式名称は「須田町派出所」。当時は神田の万世橋のたもとに建っていました。その後、移築の際にトレーラーでそっくりそのまま運ばれてきました。レンガ造りの小さくて可愛い交番です。
植村邸
看板建築の様式を色濃く表している建物「植村邸(うえむらてい)」は、建物の前面が銅版で覆われている建物です。外観が洋風なデザインになっているのと対照的に、2階部分は和風の造りになっています。重厚な姿は見応え抜群です。ぜひ見学してみてください。
川野商店(和傘問屋)
和傘問屋を営んでいた「川野商店(かわのしょうてん)」は、現在の江戸川区小岩に建てられた建物です。当時は傘作りが盛んな時代でした。建物の内部には、昭和5年頃の和傘問屋の様子が再現されています。当時の活気あふれる和傘問屋の雰囲気を楽しんでみてください。
丸二商店(荒物屋)
昭和初期に荒物屋として営業していた「丸二商店(まるにしょうてん)」。小さい銅版片が巧妙な技術で模様を描いており、建物の正面を華々しく飾っているのが特徴的な建物です。店内には昭和10年頃の様子が再現されています。また、裏手には長屋も移築されていて、当時の路地の様子などを垣間見ることができます。
村上精華堂
かつて、東京都台東区池之端の不忍通り沿いに鎮座していた小間物屋(化粧品屋)「村上精華堂(むらかみせいかどう)」。昭和初期には、化粧用のクリームや椿油、香水などを販売するお店として人々に親しまれていました。また、卸売も行っていたとされています。建物正面は人造石洗い出しとなっており、イオニア式の柱を有しています。これは当時としてはかなりモダンな作り。化粧品店だけあって、建物からもお洒落さが垣間見られる建物です。
大和屋本店(乾物屋)
昭和3年頃から乾物屋として営業されていた「大和屋本店(やまとやほんてん)」。建物は木造3階建てとなっています。3階の軒下が伝統的な出桁造りとなっている一方で、間口に対して背丈が非常に高いという特徴も持ち合わせています。まるで看板建築のようなプロポーションをもつちょっと変わった作りの建物です。店内では戦前の乾物屋の様子が再現さてれています。
万徳旅館
かつて青梅街道沿いに建っていた旅館「万徳旅館(まんとくりょかん)」。江戸東京たてもの園で展示されている万徳旅館は創建当時の形に限りなく近い姿で保存されています。室内は旅館として営業されていた昭和25年頃の様子が再現されています。