長谷寺

新潟県 佐渡
  • お寺・寺院・仏閣

基本情報

名称

長谷寺


チョウコクジ

住所

新潟県佐渡市長谷13


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アクセス方法 ・車で35分 ・車で55分 ・車で55分
料金 ・無料
連絡先 問合せ先 電話番号:0259-66-2052
ホームページ http://sado-choukokuji.jp/

長谷寺は佐渡屈指の古刹で、山上の観音堂に登る参道の東側に本堂などの堂舎が並び建っています。 長谷寺略記によれば、行基または弘法大師の開基と伝わっています。 1589年に上杉景勝に寺領を没収されますが、その後1599年に直江兼続によって再興されました。 本堂は六間取方方丈形式で、壮大な規模を持つ講堂です。 その東側には木組が太く、棟高も高く風格ある外観をもつ庫裏があります。 いずれも茅葺でしたが、現在は鉄板仮葺となっています。 本堂西側には不動尊を祀る護摩堂が建っており、鐘堂につながっています。 鐘堂は桜門風の作りで、腰組の雲龍彫刻が優れています。 観音堂際に建つ札所は二階建てで二階に切子格子を組み、繊細な外観です。 また、庫裏の周囲には寺務所のほか、中之蔵、米蔵、味噌蔵の土蔵が前庭を囲むように建っており、山腹の重厚な伽藍景観を形成しています。 【五智堂】 多宝塔とも呼ばれ、寺の縁起によると観音堂に安置してあった弥陀、釈迦、大日、薬師、宝生の五智仏を正保年間に五智堂を造って移し、更に1745年に多宝塔を建立してここに安置しました。 塔の内陣は円形平面を持つ大塔形式を踏襲し、全国的にも数少ない貴重な例です。 技法は手がこんでおりトキョウの形式や木割りが古風である反面、外陣天井には放射状の矢羽根文を大胆に用いているのが特色です。 2004年の五智堂の屋根修理に伴い、それぞれ1687年と1745年の銘がある2枚の棟札が発見されました。 この2枚の棟札は同物件の沿革を示す資料として重要であることから、追加指定されました。 【金剛力士立像】 長谷寺仁王門に安置された阿吽二体の金剛力士立像です。 製作年代は平安時代後期の彫像製作にしばしば用いられた、一木割矧造の技法に通じる点などから、平安後期に遡ると考えられます。 金剛力士立像は鎌倉時代以降の遺品が圧倒的に多く、平安時代に遡るものは京都醍醐寺の像など、極めて少ないです。 新潟県の指定文化財の金剛力士立像としては、佐渡市小比叡の蓮華峰寺の像が鎌倉時代後期の製作とされていますが、本像はその製作時期より2世紀余りも遡ることから、甚だ貴重なものです。 【木造不動明王立像】 桧材一木造りの高さ98.5cmの像です。 両眼を開き左手に羂索をもち右手に剣をもっています。 肉付温和で衣文が浅く簡潔に刻まれています。 像に伴う矜羯羅童子とともに平安末期の作品です。 【木造矜羯羅童子立像】 不動明王の使者として作られたものと思われます。 桧材一木造りの高さ60.3cmの小像です。 両肩に髪を垂れ面はやや左に傾け上を向き、体には裳を付け腰を左にひねり両足を開き合掌する童形で筒契に刻まれています。 姿態表情ともつつましく、平安末期の作品です。 【木造十一面観音立像】 国、県指定の4体があり、秘仏として33年に一度御開帳が行われます。 この3体は1906年に旧法による国宝に指定されました。 いずれもかや材一木から彫出された立像です。 左肩から右下わきに条帛(じょうはく)をかけ、腰には天衣や裳をまとい右手は下に垂れ左手には持物を持つ姿をしております。 全体に丸ノミのあとが残っており、頭上に一例に並ぶ化仏には目や鼻が刻まれていません。 かつては未完成品ではないかといわれましたが、この手法は藤原時代に関東を中心にして、東北、中部地方まで行われた一様式であると考えられるようになりました。 したがって、仏像は藤原時代にこの地方で制作された地方色の豊かな作品ということができます。 残る一体は県指定文化財に指定されています。

詳細情報

その他 駐車場 普通車:有り(無料) 大型車:有り(無料)
その他 【国登録有形文化財】 ●名称:長谷寺本堂、庫裏、護摩堂、鐘堂、廻廊及び札所、中之蔵、米蔵、寺務所、味噌蔵 ●登録年月日:平成20年3月7日 【国指定重要文化財】 ●名称:木造十一面観音立像 ●指定年月日:明治39年4月14日 【県指定有形文化財】 ●名称:長谷寺五智堂 ●指定年月日:昭和50年3月29日 ●名称:木造金剛力士立像 ●指定年月日:平成18年3月13日 ●名称:木造不動明王立

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