大久保治右衛門忠佐の墓

静岡県 沼津・三島
  • 観光名所

基本情報

名称

大久保治右衛門忠佐の墓


オオクボジウエモンタダスケノハカ

住所

〒410-0865 静岡県沼津市東間門3-4-4 妙伝寺内


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アクセス方法 ・JR沼津駅南口からバスで10分 富士急バス利用 ・妙伝寺前から徒歩で
料金 ・無料
連絡先 所在地 電話番号:055-962-4090 問合せ先 電話番号:055-962-4090

大久保治右衛門は慶長6年(1601年)には中村一氏の弟一栄にかわって、駿河国沼津において2万石を賜り、三枚橋城城主となった。その後剃髪して道喜と号した。慶長18年(1613年)9月27日、77歳で死去。忠佐の嫡子忠兼は同年4月14日、父に先だって15歳で亡くなっていたため、弟彦左衛門忠教を養子に迎えようとしたが、「他社の功績によって得た知行(土地を領有して支配すること)をそのまま受け取るわけにはいかない」と承知しなかったため、家は断絶し慶長19年(1614年)に廃城となった。 妙伝寺は山号を光栄山といい、法華宗岡宮光長寺の末寺である。慶長9年(1604年)10月の創建で、開基は日典という。日典は俗名を市川七郎左衛門家吉(元は忠佐の家臣)といった。当時の三枚橋城主大久保忠佐は厚く法華宗に帰依し、自ら当寺を大久保家の菩提寺と定め、慶長9年12月19日、寺領として田畑約750坪を寄進した。当時にはその古文書が残されており、忠佐と妙伝寺の特別な関係を物語っている。 三河松平の家臣で勇猛な戦国武将・大久保忠佐が沼津古城最後の城主となった。