美濃路
- 旧街道
基本情報
名称 |
美濃路 みのじ |
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住所 |
愛知県稲沢市 地図を見る |
連絡先 | 問合せ先 電話番号:0587-32-1111 |
ホームページ | http://www.city.inazawa.aichi.jp/ |
【美濃路とは】 美濃路は、中仙道の垂井宿(岐阜県垂井町)から東海道の宮宿(名古屋市)を結ぶ全長十四里二十四町十五間(約五十七・五km)の街道です。 中仙道の垂井宿からはじまり、途中には、大垣宿(岐阜県大垣市)、墨俣宿(岐阜県大垣市)、起宿(一宮市)、萩原宿(一宮市)、稲葉宿(稲沢市)、清須宿(清須市)、名古屋宿(名古屋市)の七宿があり、東海道の宮宿に合流します。又、足下には、間の宿(岐阜県羽島市)も置かれました。 慶長五年(一六〇〇年)関ヶ原の合戦のとき、福島正則が先鋒として進撃し、勝利後に徳川家康が凱旋したとき、この道を通って帰ったことから「お悦び街道・吉例街道」とも呼ばれます。五街道と同じく、江戸幕府直轄の街道で、道中奉行の支配下に置かれ、道幅・松並木・一里塚・宿場・助郷も五街道なみとなっています。 東海道の鈴鹿峠越えや海路の「七里の渡し」に比べ、遠回りになりますが、安全性が高く、天候に左右されず予定通りの通行が可能であったため、女性にも重宝され、多くの旅人が利用しました 徳川家康・秀忠・家光らの将軍をはじめ、参勤交代の大名や朝鮮通信使、琉球王使節、お茶壷道中など、さらには、象も、この街道を通っていたなど、一般民衆の旅の利用はもとより多くの人たちがこの道を往来しました。 【稲葉宿】 天保十四年(一八四三)の稲葉宿は、家数三三六軒、人口一五七二人、旅籠屋八軒、本陣・脇本陣各一軒、問屋場三箇所がありました。本陣の小沢村の原所次右衛門の家は、門構・玄関付で建坪一一三坪(約三七三平方m)、脇本陣の東町の吉田又吉の家は、門構・玄関付で建坪七〇坪(約二三一平方m)でした。問屋場が三箇所あり、稲葉村西町の西問屋場は原氏と伊東氏が交代で勤め、稲葉村東町の中問屋場を伊東氏、小沢村の東問屋場を原氏があずかり、一問屋場二日交代で勤めたといいます。宿場の長さは、八町二一間(約九一一m.)でした。