楯岩城跡
兵庫県
姫路・赤穂・播磨
- 史跡
基本情報
名称 |
楯岩城跡 タテイワジョウ |
---|---|
住所 |
〒671-1573 兵庫県揖保郡太子町上太田 地図を見る |
アクセス方法 | ・JR網干駅から車で15分 |
連絡先 | 問合せ先 電話番号:079-277-5993 |
現在では土塀跡、石垣のみが現地で確認出来ます。 山頂のテレビ中継所に本丸跡があり、南、西の尾根上に二ノ丸・三の丸・ 帯郭・空堀などの遺構が残っています。 ・楯岩城の歴史 楯岩城は、播磨地方の歴史を記した「播磨鑑」によれば、鎌倉時代末期から室町時代初期の建武年間の頃に赤松則弘が城を築城したことに歴史が始まります。 1441年に西播磨地方を中心とした大規模な農民による土一揆(嘉吉の変)で一度落城しましたが、赤松伊豆守貞村がその後居城して、5代に渡り栄えました。 しかし、天正初め頃に羽柴秀吉によって攻められ落城しました。