山口・萩のはずれにたたずむ松陰神社
松下村塾があるのは、山口県萩市。山口県の県庁所在地である山口市からはおよそ1時間半ほどかかります。現在では交通の便もあまりよくなく、静かな街ですが、江戸時代には雄藩(力を持った藩)のひとつ・長州藩の藩都として非常に賑わっていたそうです。
海沿いの城の裾野には武家屋敷が広がり、街の中心となっていましたが、松下村塾はそこから川を渡ったはずれの場所にあります。かつて「松本村」と呼ばれたのどかな場所です。
吉田松陰は次々と新しい国の形についての意見を示し、ついには江戸で当時の江戸幕府に処刑されます。しかしその思想は弟子たちに脈々と受け継がれ、多くの志士を生み、彼らによって明治維新がなされたのです。弟子たちは明治新政府で要職につき、彼らは師であった吉田松陰を祀って「松陰神社」を建立しました。松下村塾のあった場所が、そのまま神社になっています。
東京の三軒茶屋の近くにも「松陰神社」がありますが、それは吉田松陰の墓所がある所です。彼が生まれ育った土地と眠る土地、両方が「松陰神社」になっています。
明治維新はここから始まった!
神社の鳥居をくぐる前にまず目につくのは、大きな「明治維新胎動之地」の石碑です。
昭和43年(1968年)、明治維新100周年を記念して建てられたものだそうです。この文字を書いたのは当時総理大臣の職にあった佐藤栄作です。
入り口には吉田松陰と、松下村塾の保存を働きかけた境二郎の描かれた絵馬がありました。この2人が松陰神社に祀られている「祭神」となっています。